月報2022/09
9月の月報です。
添削する時間がないので、どーん。
長い、長ーい。
あっ痛。
ひとりごとが日常会話と同じ音量で、口から出るようになったか。
と思ったら、実際に少しだけ指先を紙で切ってしまっていた。
いつものように、Twitterのタイムラインをつるつるしていたら、不意打ちを勝手に受けてしまったのだ。
厚生労働省から送られてきた銀杯の画像に、無駄遣いだし欲しくないし要らないと書いてある。
私が今その立場で受け取ったなら、やはり無駄だし邪魔だし要らないと思うだろう。
百歳のお祝いは、昭和38年から続いている。らしい。
あ痛たたたたたと口走ったのは、町内会で贈る敬老祝いのラッピングを、していた最中だったからだ。
これはそれとは違う、よね、大丈夫だよね、うん、いろいろ違うはず。
紙で切った傷は、見た目と違って、じわじわ長く痛い。
申し込み用紙を一枚ずつ確認していくと、たくさんの物語を想像せずにはいられない。
名前の響き、力強い筆、一言添えてあったり、顔見知りも幾人か。
歴史の勉強が足りない自覚はあるので、西暦と和暦の早見表を検索しつつ、Wikipediaもひらく。
1926年は、大正15年とちょっとだけの昭和元年。
これも、ちゃんと記憶がぼんやりしていた。
その頃に、ハマチの養殖が始まって、江ノ電が開通して、信号機ができた。
創業100周年の企業は、よく耳にするのに、80年や90年くらい前の暮らしを想像する機会が少なかったように思う。
祖父は詳細に書き残してくれたけれど、それを読むチャンスを逃したまま、コロナ禍に入ってしまった。
2020年から訪問で手渡しは難しいと判断し、郵便受けに投函する形になったので、この方々の全員にお会いすることはない。
どんな人生だったのだろう。
筆跡とお名前と生年月日で、たくさんの想像をする。
紙を折って、切って、貼って、歌を口ずさんでみたりして、完全に浮かれていた。
それで、別の場所で別の方向に放たれたメッセージに、自分で頭をぶつけた形だ。
来年はお花を添えたい気分だった私の敬老祝いと、内閣総理大臣が45,141人に贈呈する銀杯とお祝状。
台風がきていて、ぼんやりしていたので、そのまま考えるのをやめてしまっている。
最近は、何かについて考える時間が、どうも足りていない。間に合わない。
今日も訃報が届く。
それは、自分が長めに生きはじめた証しでもあるし、情報を得る手段が増えたからでもある。
遠くの国の王も、亡くなった。
その周囲は悲しみに包まれていたし、インドやアフリカからは、そうなるだろうなという反応もあった。
私は私で、想像を軽々越える何かがあって当然だけれど、顔と名前を知っている、笑顔の素敵な女王様とお別れするのは、やはり寂しいなと思った。
同時に、知らない土地の文化を見聞きしておきたい好奇心もある。
在位70年ともなると、ほとんどの人が、経験していないことを、次から次にやることになる。
流れてくる情報を少しずつ拾い集めては、へぇとか、はぁとか、何度も言う。
詳しい方の解説はなるべく読むことにした。
国王陛下のジェームス・ボンドと、女王陛下のジェームス・ボンドとにある、ふわっとした違和感は、私自身のなにか偏ったものかなと考えようとする。
そうしていると、今度は、9月27日の高速道路の通行止め予定と各種運送会社からの配達遅延の連絡が届く。
この感覚をなんと言葉にすればいいのか、今も困っている。
子どもの頃に親しんだ落語家は、少し早く旅立ってしまった。
向こうで「まだ早いよ」と座布団を取ったり取られたりしてほしい。
元気があればなんでもできると言った人に、元気だけではどうにもならないと愚痴をこぼした私も、居ないとなると元気が出ない。
以前、特定の宗教を信仰していないと書いたけれど、正確ではなかった。
私は、傷つけたり奪わないのであれば、ありとあらゆるその信仰対象に、かたっぱしから挨拶をしていくスタイルを選んでいる。
クリスマスツリーを飾り、鏡餅と注連縄を飾り、箒がけをし、除夜の鐘をきいて、初詣にいく。
道中のお地蔵さまにご挨拶、おせち料理も楽しいし、春節の中華街には爆竹を鳴らしてほしい。
西洋占星術も四柱推命も、頼りにする。厄払いにいき、お墓参りもする。
育った環境は、大いに影響しているはずで、大阪の家には大きな仏壇があり、神棚があり、マリア像があった。
小学生の私は、小説に出てくる陰陽道と修験道に夢中だった。
実母は、ヨガを何十年も続けていた。
信仰している人からすれば、ひっちゃかめっちゃかで、ともすれば無礼にあたる。
しかし、私は私で、親しい人たちがそれぞれに信仰するなにかは、それとしてそこにあるものだから、お邪魔しておりますとご挨拶していくのが筋だと、譲れない。
作法があるなら覚えておきたいし、タブーに関しては特に調べておきたい。
アフガニスタンからの転校生がきて、図書室と給食室に走ったのを、今も覚えている。
あったらいいなと思うので、此方と彼方を、よく使う。
実父の白菊会への登録は無事できたものの、墓じまいが手付かずで、市営の永代供養は毎年争奪戦らしい。
私は私で、樹木葬に興味をもっている。
すべてのそれは、生きている人が生きていくために必要なものであってほしい。
そう思って、今は、検索ワードに、正しいHalloween、と入力している。
すべてのものに敬意を。
ご挨拶をして、お借りしますと報告を。
なるべく失礼のないように。
ミサイルが飛んでくる。
一生ものだと手渡された鍋が、鼠講で有名なあのあれのあれだった。
中学校の裏の大きな像が不気味で嫌いだったのは、それかと、今知った。
戦争は、どうすれば終わるのだろうか。
イランの女学生を、これ以上傷つけないで。自由を奪わないで。
障害者雇用も視野に入れ始めた。
WordとExcelとパワポを動かしはじめて、毎日つまずいている。
英会話学習アプリを使い始めたら、思った通りthとshとcとlとrで、怒られている。
2時間くらい、寝るのが早くなった。
目指せ、給与所得。