in the room

埋まらない退屈だけを愛しぬけ

2022年度末報告

いつかは終わる。
それは必ずくる。

大人になればなるほど、そういうものが、数多く、近くに感じるからなのか。

驚くほど冷たく静かに無表情で立つ自分と、情けないほど取り乱して震える自分とを、誰にもみつからないように繋ぎとめている。
毎日。

陰性か、陽性か。
勝ちか、負けか。
白か、黒か。

この数年で、そのすきまのグレーな部分が、まるで無くなってしまったような気がしていた。
決まっていないところ、誰も知らないなにか、みえないもの。
そうとしてしか、あることができない、なにか。
まだわからないこと。

それを、この冬にみたドラマは、ていねいに掬ってくれた。

100万回言えばよかった、は、この世からあの世までの、あるといいなと思いたい時間。
あなたを愛しているよ。

ブラッシュアップライフは、今世と来世とやり直しの、できたらいいなと思いたい選択。
みんな最高だよ。

リバーサルオーケストラは、手放したものと取り戻せるもの、あったらよかったと願った未来。
これが夢だったよ。

それなりに生きて、なんとか暮らして、ちょっとくらいはドラマチックなできごともあって、明日もできる限り、それなりに生きていく。
私のそんな生活の、となり。
キッチンの横に置いた、ステップスツールの頼りがい。

今はぜったいに嫌なのだけど、もしそれがきたとしても、バカリズムの受付に行くと思えば。
困ったら、板倉さんか松山ケンイチを探そうと思えば。
なんとかなりそうな気がしないこともない。
きっと、最後のPrestoが鳴っているだろうし。

少しずつ、でもたしかに、積み重なっている不安を、47分の間だけでも手放すことができた。
素敵なドラマが、こんなにあるから、がんばれた冬。

いいとものときは、子どもみたいに泣いたけれど、タモリ倶楽部は絶対に、笑って、終わりたくて、結局やっぱり涙は流れたけれど、けたけた笑って手をふりました。

2023年度、令和5年度が、始まりました。
どうしても、ぜったいに、戦争がいやなのに、選挙でどうしたらいいのか、困っています。

実父の生存確認報告LINEで、マンションやら近所の公園の桜を送ってくれて、良い住処を選べてよかったと、安心したりします。
私の自宅マンション、植栽にとっては環境がひどい、らしいです。

お給料が少しずついただけるようになったので、空気清浄機とイハダのアレルスクリーンスプレーとクリームを、夫の花粉症対策に買いました。

キウイフルーツを、最近は食べています。

しぬの絶対嫌ガチ勢、今年度も、がんばります。

 

マカロニえんぴつ「リンジュー・ラヴ」MV - YouTube

2022年期末報

昨日、2022年12月30日は仕事納め。
そう、あの、仕事納め。

 

月報も書けず、ごはん記録も止まっている原因。

 

実働8時間、はじめました。

 

夫の給与が減った。

給湯器が故障した。
会社が火事で燃えた。

 

今しかないよね、タイミングだよね、これ。
むしろチャンスだよね。

 

次の日から求人情報をかき集めて、サクサクッと勢いで、週3日程度で働き始めました。

 

お外に出てみたら、まず法律があれもこれも変わっていて、びっくり。

 

40代、PC知識ゼロ、主婦専業でブランク、未経験、無資格、無免許、高卒、扶養内、持病有り、障害者。
これは、まず、雇いたくない。

 

就職氷河期世代、ジェネレーションYビンゴなら、きっと達成できる。

 

それでも、なんとか仕事をつかんで、ここしばらくは過ごしております。

 

あんなに好きなあれこれも、ほとんど手にできないまま、2022年が暮れていきます。

 

給与が振り込まれ、そのまま何がしかの支払いに流れていきます。

 

来年は103万の壁があります。
ちょっとくらい遊びに行ったり、したいものですが、冷蔵庫とオーブンレンジとエアコンが買い替えを待っています。

 

本当は、お弁当を持って、食事をしっかり整えたいので、もうしばらくは、ふわふわした暮らしになりそうです。

 

耳が空いているから、家でラジオを聴く時間が増えました。
チェックイン30分前、パスポートを忘れてきたって、成田空港のロビーで気づいちゃった話で、うっかり泣いちゃったりしています。

 

掃除やら洗濯やら全部やりたくないので、チェンソーマンの楽曲を鳴らして叫びながら、やっています。

 

なんでもかんでも閣議決定なので、弱っています。

 

年が明けたら、布団を干そう。

 

2022年も皆様、お世話になりました。
2023年も、なにとぞゆるりと、ひとつよろしくお願いします。

 

月報2022/09

9月の月報です。
添削する時間がないので、どーん。
長い、長ーい。


あっ痛。

 

ひとりごとが日常会話と同じ音量で、口から出るようになったか。
と思ったら、実際に少しだけ指先を紙で切ってしまっていた。
いつものように、Twitterのタイムラインをつるつるしていたら、不意打ちを勝手に受けてしまったのだ。


厚生労働省から送られてきた銀杯の画像に、無駄遣いだし欲しくないし要らないと書いてある。
私が今その立場で受け取ったなら、やはり無駄だし邪魔だし要らないと思うだろう。

百歳のお祝いは、昭和38年から続いている。らしい。

 

あ痛たたたたたと口走ったのは、町内会で贈る敬老祝いのラッピングを、していた最中だったからだ。
これはそれとは違う、よね、大丈夫だよね、うん、いろいろ違うはず。
紙で切った傷は、見た目と違って、じわじわ長く痛い。

 

申し込み用紙を一枚ずつ確認していくと、たくさんの物語を想像せずにはいられない。
名前の響き、力強い筆、一言添えてあったり、顔見知りも幾人か。
歴史の勉強が足りない自覚はあるので、西暦と和暦の早見表を検索しつつ、Wikipediaもひらく。


1926年は、大正15年とちょっとだけの昭和元年。
これも、ちゃんと記憶がぼんやりしていた。
その頃に、ハマチの養殖が始まって、江ノ電が開通して、信号機ができた。
創業100周年の企業は、よく耳にするのに、80年や90年くらい前の暮らしを想像する機会が少なかったように思う。
祖父は詳細に書き残してくれたけれど、それを読むチャンスを逃したまま、コロナ禍に入ってしまった。

 

2020年から訪問で手渡しは難しいと判断し、郵便受けに投函する形になったので、この方々の全員にお会いすることはない。
どんな人生だったのだろう。
筆跡とお名前と生年月日で、たくさんの想像をする。
紙を折って、切って、貼って、歌を口ずさんでみたりして、完全に浮かれていた。


それで、別の場所で別の方向に放たれたメッセージに、自分で頭をぶつけた形だ。
来年はお花を添えたい気分だった私の敬老祝いと、内閣総理大臣が45,141人に贈呈する銀杯とお祝状。
台風がきていて、ぼんやりしていたので、そのまま考えるのをやめてしまっている。
最近は、何かについて考える時間が、どうも足りていない。間に合わない。

 

今日も訃報が届く。
それは、自分が長めに生きはじめた証しでもあるし、情報を得る手段が増えたからでもある。

 

遠くの国の王も、亡くなった。
その周囲は悲しみに包まれていたし、インドやアフリカからは、そうなるだろうなという反応もあった。
私は私で、想像を軽々越える何かがあって当然だけれど、顔と名前を知っている、笑顔の素敵な女王様とお別れするのは、やはり寂しいなと思った。


同時に、知らない土地の文化を見聞きしておきたい好奇心もある。
在位70年ともなると、ほとんどの人が、経験していないことを、次から次にやることになる。
流れてくる情報を少しずつ拾い集めては、へぇとか、はぁとか、何度も言う。
詳しい方の解説はなるべく読むことにした。
国王陛下のジェームス・ボンドと、女王陛下のジェームス・ボンドとにある、ふわっとした違和感は、私自身のなにか偏ったものかなと考えようとする。

 

そうしていると、今度は、9月27日の高速道路の通行止め予定と各種運送会社からの配達遅延の連絡が届く。
この感覚をなんと言葉にすればいいのか、今も困っている。

 

子どもの頃に親しんだ落語家は、少し早く旅立ってしまった。
向こうで「まだ早いよ」と座布団を取ったり取られたりしてほしい。
元気があればなんでもできると言った人に、元気だけではどうにもならないと愚痴をこぼした私も、居ないとなると元気が出ない。

 

以前、特定の宗教を信仰していないと書いたけれど、正確ではなかった。
私は、傷つけたり奪わないのであれば、ありとあらゆるその信仰対象に、かたっぱしから挨拶をしていくスタイルを選んでいる。
クリスマスツリーを飾り、鏡餅と注連縄を飾り、箒がけをし、除夜の鐘をきいて、初詣にいく。
道中のお地蔵さまにご挨拶、おせち料理も楽しいし、春節の中華街には爆竹を鳴らしてほしい。
西洋占星術四柱推命も、頼りにする。厄払いにいき、お墓参りもする。

 

育った環境は、大いに影響しているはずで、大阪の家には大きな仏壇があり、神棚があり、マリア像があった。
小学生の私は、小説に出てくる陰陽道修験道に夢中だった。
実母は、ヨガを何十年も続けていた。

 

信仰している人からすれば、ひっちゃかめっちゃかで、ともすれば無礼にあたる。
しかし、私は私で、親しい人たちがそれぞれに信仰するなにかは、それとしてそこにあるものだから、お邪魔しておりますとご挨拶していくのが筋だと、譲れない。


作法があるなら覚えておきたいし、タブーに関しては特に調べておきたい。
アフガニスタンからの転校生がきて、図書室と給食室に走ったのを、今も覚えている。


あったらいいなと思うので、此方と彼方を、よく使う。
実父の白菊会への登録は無事できたものの、墓じまいが手付かずで、市営の永代供養は毎年争奪戦らしい。
私は私で、樹木葬に興味をもっている。

 

すべてのそれは、生きている人が生きていくために必要なものであってほしい。
そう思って、今は、検索ワードに、正しいHalloween、と入力している。
すべてのものに敬意を。
ご挨拶をして、お借りしますと報告を。
なるべく失礼のないように。

 

ミサイルが飛んでくる。
一生ものだと手渡された鍋が、鼠講で有名なあのあれのあれだった。
中学校の裏の大きな像が不気味で嫌いだったのは、それかと、今知った。
戦争は、どうすれば終わるのだろうか。
イランの女学生を、これ以上傷つけないで。自由を奪わないで。

 

障害者雇用も視野に入れ始めた。
WordとExcelパワポを動かしはじめて、毎日つまずいている。
英会話学習アプリを使い始めたら、思った通りthとshとcとlとrで、怒られている。
2時間くらい、寝るのが早くなった。
目指せ、給与所得。

 

月報2022/08

8月の月報です。
これでも短くしたのです。
長い長ーい長いです。


わたしね、青ヘルだったの。
小さな声だった。

 

ほんのりお酒を口にして、朗らかになったのだろう。
まだまだ私はいろいろ甘いから、思わず大きな声が出てしまった。
文字でしか知らないそれを、この人は経験していた。
びっくりする私を、彼女は変わらずやさしく、ころころ笑っていて、こう続けた。

 

私は、ほら、体が小さいでしょ。いつも潰されちゃうの、爪が剥がれるから困ったわ。

 

少し視線を下げて、目の奥は遠くを見ている。

 

でもね、なにをしたいのか、しているのか、わかんなくなっちゃった。
だから、すぐに大学も全部、やめちゃった。
あっという間ね。

 

ああ、細く軽く飛んでしまいそうで、全く動かせないほど重い、声。
この人は「そうよぉ社青同だったの」って明るく他人に言ってみるのは、今が、初めてかもしれない。
孫には話さないかもしれない。
なんとなく、そんな気がした。

 

あまり有効活用できなかったなぁ、せっかく育ったのに。
そうやって持て余している私の大きな体が、こんな時はちょっとだけ役に立つ。
すごいね、かっこいいね、迷って悩んで考えて選んで動いて、今も元気に生きていてくれて、あなたに会えて、私はうれしい。
そんな言葉を、ありったけ両腕にのせて「大好き」とふんわりハグをする。
私の愛はいつだって重いから、彼女を隠してしまうほどの私の大きな背中は、きゅっと丸めるくらいで、ちょうどいい。

 

どうにもできなかったと語る当時を、少し口にしたことで、なにかが良い風にのって流れていったらいいなと、帰り道で考える。
町内会は連合会がいくつもあって、老人会にも連合会がある。
私が接している社会は、今はそこしかない。
しかし、とてつもなく広い世界の入り口でもある。
そろそろ自分の窓を閉じていく年齢になったような気分でいたのが、恥ずかしい。

 

次の桜までは、あの葉が枯れ落ちたら。
この台詞が、こういうことかと、体感し始める。
訃報が続く。
酷暑。
高齢化社会に、ただ話を聞くだけの、体の大きな中年は、役に立つような気がしてきた。

 

法律婚が自分に合わなかったので事実婚にします、と発表したタレントが、ニュースサイトのトップに扇情的な見出しで、離婚と記載されていた。
さらに、その経緯で、自らのジェンダーセクシュアリティなどのセンシティブな部分にまで触れていて、ここまで公表せねばならないのかと思ったり、外に出すことで生きやすくなるなら耐えていないでほしいし、こんなにも他人の家に口を出したい人が多いのかと驚いたりした。

 

同じ日に、隣に座った女性の下着を剥ぎ取った役者の謝罪があった。
それは、なにひとつ、謝罪ではなかった。
こんな別れは、想像していなかった。

 

なにも言わない、知らせない、伝えない。
言わなくてはいけないことを、言おうとしない。
聞かなくていいことを、話せという。
黙っていられない、聞かれなくても、話してしまう。
言いたくて言えずにいってしまった人、聞きたかったけれど聞けなかったこと。

 

ただ話すだけ、が、こんなに難しい。
やっぱり私には、わからない。
今日も今日とて、私は息をするだけで、ぎりぎりだ。

 

ほんのり頬が紅くなってきた、大好きなあの人のカメラロールは、孫たちのかわいい姿でいっぱいだ。
私は、できれば、毎日くるくると育っていくこどもたちと、育てる人の両方を、抱きしめていたい。

 

朝日が背中にあたりはじめていて、まだしっかりした夏の強さで、私は黙々とキーボードを叩いている。
夜明けのラブレターほど、ひどいものはないのに、なぜかいつも書かずにいられない。

 

今年に入って薬がまた変わり、太る種類のものになった。
さすがにつらいので、昨年末から筋トレをはじめた。
想定していた脂肪の何割かが筋肉になってはいるようで、いまのところ、なんというか、たくましい。
血縁をみるかぎり、私は丸くなるし、骨は弱く、筋肉はすぐに衰える。
まだまだ、いざという時に立ち上がれるような準備はしておかなくちゃ。
昼と夜が逆になって、ごはんを作りたくなくなってきている。
負けない。

 

20年前、笑いながら泣きながら、ひとりでもみんなとも歌ったあの曲を、彼女がまた2022年に歌ってくれたのをきいて、どうにもならなかった当時とか今も生きてこれを見聞きできていることとか、たまらなくなって、ぼろぼろ泣きました。
大人は泣かないらしいけれど、すぐ泣く大人がいたっていいと思うの。
life's like thisなんです。

月報2022/07

7月の月報です。
長い、長い、長い。

 

漫画「ちはやふる」が、完結した。
主人公が高校に入学し、卒業するまでの3年間を、15年で描いた物語だ。

 

ちょうど自分が高校生の時に、友人が百人一首同好会を立ち上げた。
私も興味があったし、同好会が部に昇格する基準に人数も必要だった。
しかし、当時すでに3つの部活と放送局に所属していたため、加わることはできなかった。

 

それから同窓会の会報を開くたびに、百人一首部はあれよあれよと活躍していく。
後輩に繋ぐなにかをひとりで始めた友人を、今も変わらず、尊敬している。

 

そんな縁もあったし、なにより人生を話す作品は、大好きだ。
途中で、読む機会が途絶えてしまったけれど、絶対に大好きなはずだと確信があった。

 

今回の完結に際し、48時間限定で、1巻から48巻まで電子書籍で読める企画が発表される。

無料。

私はいてもたってもいられなくなり、48時間の休暇宣言をした。

 

眠る時間と洗濯と掃除以外を、使って読みきることに決めたのだ。


もう漫画を50冊購入する余力はなく、あきらめていた。
でも、これなら間に合う。
どうしても、物語の結びを、できるだけ多くの読者と共有したかった。

今しかない。

 

これは2020年から顕著に変わった意識で、この先もなにより優先するだろう感覚だ。

 

3年間を、15年で語り、48時間で受け取る。

いつものとおりの私だと、声をあげて泣く。
そう思って用意したティッシュは、あと2箱足りなかった。

 

ところで、ここ最近では、タイムリープの設定が、自然に使われるように感じる。

私だって、目の前に現れた誰かから「今西暦何年の何月で、ここはどこですか」と聞かれれば、感激しながら答える。

 

しかし、現実で15年を走ってみて、わかったことがある。

そう何度もは、心身が、もたない。
衝撃が、とんでもない。

 

いくつもの印象的なエピソード、美しい光景、何度も唱えたい言葉が、頭のなかに入りきらない。
今もまだ、心は揺れるし、かんたんに泣くし、首の凝りは治らない。

 

そんなときに、私の横で映像作品を横目でみたことのある夫が言う。

 

で、主人公はどっちの男を選んだの、結局。

 

「雑過ぎぃぃ」は喉の奥で飲んだ。
ため息にならないよう大きな呼吸をして、肩をくるりとまわしてから、聞かれたのと同じ乱雑さで返事をする。

 

自分のみているものが、たとえ真横にいたとしても、別の人のそれと全く違うことを忘れるな。
病院で教わった誰かの言葉も思い出す。

 

違うことは、私には面白いことだ。
ただ、それを伝え合おうとする時には、努力が要るし、上手に生きるなら時々は諦めた方が、丸くおさまる。


自分にとって大切なものをみせるなら、それを同じように扱ってもらえる人がいい。

 

歳を取った。
ひとつの作品の素晴らしさをイチからプレゼンする、気力がない。

 

と、ここまで書いて、私はあんなに泣いた漫画から、何を得たのかと猛省する。
好き、が世界をひろげていく。夢中になった何かは、人を、いろいろなところをつれていってくれる。
まだまだ、しがみつかなくちゃ。

 

今月、書くはずだったこと。
修道会に入りたかった母とクリスチャンだったはずの祖母の法名
夏に自宅にいるのはピアノの練習時間だけだった10アンペア生活。
キャンセルを選んだ今年の家族旅行と熱中症とフライトレーダー。
河川ライブカメラとテレビの生放送とラジオのリアルタイム聴取。

 

毎日、毎日、こんなにたくさんの出来事が起きていたのでは、まともでいるのに精一杯だ。
それでも、千年前の人も、たいがい同じように思い悩んでいたのだし、大丈夫にしよう。

 

今は、蝉が、こわいです。
蝉は、いつも、こっちの話を全然きいてくれない。